国立音楽大学を首席で卒業し、2年間パリのベルサイユ音楽院に留学した。
「一流の音楽家でありながら、県警音楽隊に骨を埋めてくれた」と周囲は評する。県警音楽隊と出会ったのは高校時代。ピアノの先生の父親が初代楽長の蛯原三好さんだった。
ある日、レッスンを終えて帰ろうとすると蛯原さんが引きとめ、 警察官の制服を着せた。楽隊のトランペット奏者が急病で、中学時代から吹奏楽部でトランペットを吹いていた井手少年が代役を頼まれたのだった。
県警察学校で練習し、泊まりがけで演奏会に同行した。隊員は白バイや交番の警察官だ。隊員たちが一生懸命に慣れない楽器を演奏する姿に引かれた。大学合格を蛯原さんに報告すると「卒業したらおれの後釜になれ」と冗談交じりに言われた。
数年後、蛯原さんは急死した。
「僕にとっての遺言になった」。
帰国後の79年に宮崎国体で県警音楽隊を指導したのがきっかけで3代目楽長に就任した。不思議な縁に導かれるようだった。 |