輝き失せた、球界の「お祭り」


久しぶりにスポーツ新聞に目を通した。今年のマツダオールスターゲームに監督推薦により出場が決まった阪神・藤川球児投手の出したコメントが気になった。 「(過去4度)結構投げた記憶があって、もういいかなと…。対戦したい打者? 全くない。ゆっくり休みたい」。スポーツ報知では15行程度の小さい記事 だったが、朝から思わず目を見張った。全くやる気なし。4回出ただけでそうなっちゃうのか。いや、断っておくが、藤川を責めているのではない。プロ野球界を挙げての年に1度の「お祭 り」であるはずのオールスターゲームがもはや、公然とそういう位置づけなのである。分かってはいたものの考えさせられる記事だった。確かに目新しさはどこにもない。オープン戦に加えてセ・パ交流戦が行われているおかげで、リーグが違ってもたいていの主力選手なら毎年対戦済み。 さらに藤川のように五輪やWBCなど日本代表経験のある選手同士なら、チームメートとしてレベルの高い戦いを体験している。単なる「お祭り」に、もはや興 味がわかないのも無理はないのかもしれない。ファン投票に加えて、選手間投票という新しい趣向を取り入れたものの、これもどうなんだろうか。「選手もよく素直に投票するよね。自分以外の誰が いいなんて、普通はプライドが許せないんじゃないの」と、ある球団関係者は言った。ちなみに、選手間投票は任意ではあるものの、選手は比較的きちんと回答 しているとのこと。確かに言われてみれば、ちょっと不思議なシステムだ。
 一方、米国ではア・リーグ最多の485万1189票を獲得したヤンキースのデレク・ジーター内野手がテレビでにこやかにこう語っていた。「選ばれてとても光栄だ。(オールスターゲームに)出たくないなんて言うやつは嘘つきさ」。ジーターほどの人気と実績を誇りながら、純粋な言葉はとても素敵だった。裏を返せば年に1度の「お祭り」には歴史と伝統と、それだけの価値が今なお息づいているということだろう。
 子どものころ、オールスターと日本シリーズはワクワクして見ていた。本物のスター選手がいなくなったこともオールスター戦が輝きを失った一因なのだろう。年によっては3試合やる時もあるが、無駄なことだ。
 古くからのスポンサーが撤退したり、運営方法に関しても試行錯誤を繰り返している球宴は7月24日(札幌D)、25日(マツダスタジアム)に行 われる。少なくとも私の中には、あのころの「お祭 り」感はもう戻らないのかもしれない。


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